Joe Breeze Serotta Bike


先月の大阪出張の楽しみは通天閣下の立ち飲み屋巡りでは無く、40年ほど前に作られた一般的に世界初マウンテンバイクと呼ばれる10台の中の1台のこの自転車から何を感じるかでした。

リッチー本人の製作したバイクは触れさせて頂いた事がありますが、ブリーザーは台湾製を数台販売しただけでブリーズの物は見たこともなく、土砂降りの中堺市外れの自転車博物館に来た甲斐はありました。

入館料はなんと200円。






来訪者の方が詳しいだろう、とゆう思いか展示物の説明はあまりしてません。

これだけの自転車があれば、大半の自転車好きは来た甲斐を見いだせると思います。



7-ElevenカラーのHUFFY1988年アメリカ人初ジロ総合優勝アンディことアンドリュー・ハンプステンのバイク、アレックス・スティーダ スティーブ・バウアーのカナダ初マイヨジョーヌコンビや現在活躍してるタイラーの父デイビス・フィーニーも同様のバイクに乗りヨーロッパレースで大いに活躍しました。

1989年にはバイクはエディメルクスになり90年にはMTB界のスター ジョン・トマックを迎えて活躍、91年に経営悪化による7-Elevenのスポンサー撤退(セブンイレブンジャパンの介入?)からモトローラと名前を変えました。

ジロで優勝しシマノデュラエースをヨーロッパでメジャーにしたバイク、当時とてつもなく引きの重いブレーキの常識を変えたSLR(ブレーアウターに樹脂ライナーを入れレバーにリターンスプリングを入れただけですが、雪降るジロの峠の減速には大きなアドバンテージを発揮)やSIS(変則一段ごとのインデックス)は、カンパニョーロや当時日本のトップ選手に支持の高かったサンツアー シュパーブプロに大きく差をつけるきっかけとなるものでした。

ハフィーロゴですが、フレームの制作は2013年末で工房を畳んだセロッタです。(このバイクは間違いなくセロッタですが当時1987以前のバイクスポンサーのMurrayも混ざって走ってた様です)よく見ると当時自転車界に参入したばかりのトゥルーテンパーOXチューブをこの時代のセロッタの特徴ダブルベントチェーンステーが施されてるのが判ります。



できれば7-Elevenカラーのメルクスも見たかったのですが、モトローラカラーのメルクス。

この時代のUSバイクはチネリのハンドル・ステム着用率高いですね、26.4φと今は無き厄介なサイズですが。



出かけられる方はぜひ時間に余裕を持って来訪下さい、特に図書室は出られなくなる可能性も‼︎


投稿者

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メカニック担当 

昭和47年生まれの自転車大好き人間!